今朝も晴れた。
今日は、黒潮町佐賀まで約26kmの旅。
宿の玄関前で、女将さんに旅立ち姿を撮ってもらう。
宿から四万十市役所前やくろしお鉄道中村駅前を通り国道56号に出る。
国道56号をしばらく行くと、鉄道駅が見えた。
くろしお鉄道中村線古津賀駅だ。
35年前の新婚旅行の時は、国鉄の路線だったが、今は第三セクターの運営だ。
高いところにある古津賀駅は、東北の三陸鉄道駅を思い起こさせる。
ここも津波などを想定して高くしているのだろうか。
道は再びここから、くろしお鉄道と並行して進む。
黒潮町役場前を過ぎ、くろしお鉄道を渡ってしばらく行くと道の駅「大方」があった。
昼時のグッドタイミングで、さっそく食堂に入る。
にゅうめん・おにぎりセット(850円)を選ぶ。
食事の後、情報館で黒潮町の紹介ビデオを観る。
黒潮町は「クジラに出会えるまち」だそうだ。
そして、当地の砂浜はウミガメの産卵地だともいう。
そういえば、沿道に「ホエールウオチング」の看板が目立つ。
道の駅を出ると、すぐに海が見えた。
久し振りの太平洋だ。
長い水平線と押し寄せる白波の響き。
広い砂浜に、旅人ひとり。
背中のバッグを横に置いて、しばし天然の特大画面に観入る。
ハッと気づけば、大幅に時間を費やしている。
少しピッチを速めて先へ進む。
トンネルを抜けて岬を超えると、小さな漁港が眼に入る。
漁港の手前には、家庭菜園規模の畑地がある。
漁港の岸壁の上では、数人が釣り糸を垂れている。
ここにも、質素ながら地についた生活がある、とカメラを向ける。
今日の宿は、旧佐賀町の市街地入る手前の海岸にあった。
小さな湾のところで、正面に湾をふさぐように小島が浮かぶ。
湾に向かって立つその民宿は、まだ新しく予想したよりもきれいな宿だ。
宿帳に住所を書き込むと、それを見たご主人はハッとして話す。
「茨城ですか。わたしは福島ですが、高校は茨城の大子でした」と。
まだ若いご主人は、当地の女性と結婚してこちらにやって来たという。
夕食の時、60代の男性お遍路と一緒になる。
今日はどこかの宿坊に泊まる予定だったと云う。
しかし、時間が半日余るので鉄道でここまで来たそうだ。
ゆっくりお遍路すれば良いものを、少しでも早く先に進みたい気持ちはよく分かる。
ときどき鉄道も利用してお遍路するということのよう。
人生と同じように、お遍路の仕方もいろいろあるのだ。
次の朝目覚めると、部屋に日が射し込んでいる。
急いでカーテンを開けると、日の出だ。
この時初めて、南向きと思っていた宿は、東向きに建っていることを知る。
だが残念なことに、湾の正面に浮かぶ小島が陽を隠す。
宿を発って旧中村街道を通り、佐賀町の市街地を抜ける。
ふたたび国道56号に出ると、伊与木川の谷筋を登る道になる。
伊与喜と云う辺りで川面をのぞくと、20cm程の魚が群れをなして泳いでいる。
そんな清流を眺めながら、最初の休憩をとる。
佐賀町からの登りの道は、どこまでも続く。
休憩の度に上半身裸になり、汗を丁寧に拭き、身体が冷えるのを防ぐ。
美しい棚田がみえる坂を登りきると、峰の上と云うところに出た。
そこにコヒ―&レストランの看板を見つけ入る。
少し遅くなったけど、昼食に日替わり定食のすぶた定食(650円)を注文。
すると、今日のサービスとしておでんが付いて来た。
食欲旺盛な旅人でも、このおでんのサービスは「ん?」となる。
食後にコーヒー(200円)を追加して、1時間強の昼食休憩をとる。
このところ、休憩に20分程とってしまう。
それで、1時間当たり3km位の速度。
今日は気を緩めないで、このペースで歩く。
昼食をとった峰の上からは、下りの道になる。
窪川町(現四万十町)の市街地に入って旧道に進む。
今日の宿は、その沿道にある町家の旅館だった。
宿の前についた時間は、15時少しすぎたところ。
そのちょっと先に第37番霊場岩本寺がある。
宿に入る前に、岩本寺へ行ってみる。
「四国第三十七番霊場」の石柱が建つ参道に入ると、大勢のお遍路で賑わっている。
山門のところでは、一般の観光客スタイルも目立つ。
境内には宿坊があって、そこはユースホステルになっている。
分かっていれば、ここに泊る体験をしてみたかった、とチョッと思う。
今日の宿は、電話予約の時に素泊まりの旅館と聞いた。
それで、ここも年老いた人が営む巡礼宿を想像していた。
ところが、出迎えた女将さんはまだ若く、明るく親切な応対。
バス・トイレは最新の設備。
特に小部屋程ある広い便器室は、大変気分がよい。
しかし、テレビはコイン投入器付きの有料。
テレビをつけたまま、寝入ってしまう宿泊客がいるからか。