日本一周てくてく紀行

No.36 北の大地編①(豊浦町~伊達市)

豊浦町礼文華の朝は、雨はやんで曇りだった。
昨日の疲れがとれなかったのか、歩き始めの時に足の筋肉に痛みが走った。
さいわい少し緩めに歩いているうちに痛みは消えた。
まずはJR室蘭本線に沿って、急斜面の山際が迫る海辺の道を行く。
小島や巨岩に噴火湾の波が押し寄せる脇の貝殻の多い道を通り、小さなトンネルをいくつか抜けると、大岸駅という無人駅があった。
待合室に入ると暖かく海も眺められて、格好の休憩場所になった。
北の大地の鉄道駅と云った風情があって、しばし休んだ後に周辺を歩きまわって撮影をした。
大岸駅の先から少し北上して、国道37号に再び入る。
そして、豊浦町の市街地を遠望する峠道で「ドライブインみさき」の看板が見えた。
ちょうど昼時でラッキーとばかりに入る。
結構混んでいて、眺めの良い窓際の席は取れなかった。
その窓際の席で仲睦まじく食事する夫婦を眺めながら、焼肉定食を食べた。

豊浦町の市街地に入ってしばらくして、中学生らしい女の子たちに話しかけられた。
千葉県銚子市から歩いてきたと話したら、かなり興味を持ったらしく写真を撮ってくれという。
願ったりとばかりに写真を撮り、いろいろ尋ねると彼女たちは豊浦中学1年のバレー部員だという。
さらに今日の宿となる旅館を尋ねると、そのうちの一人が私の親戚の家だと云ってみんなで案内してくれた。

宿に着いた時は、まだ14時前だった。
玄関で声をかけると、わたしの孫と同じ2歳位の可愛い女の子とそのお母さんの二人が出迎えてくれた。
広い部屋に案内して、すぐに暖房を入れ風呂も直に沸くのでどうぞという。
昨日は疲れていたのにシャワーだけだったのでありがたかった。
風呂場は清潔できれいだし、浴槽も大きく気持ち良く2日分の疲れがとれた気分になった。
きのう洗濯して乾ききっていない衣類を部屋のあちらこちらにつるして干した。

玄関で2歳の女の子を見たせいか、久し振りに孫の写真を取り出して眺めていたら、さっきの二人がお茶の案内に来た。
ついつい写真を見せて孫自慢の話になった。

次の朝は、久し振りの快晴となった。
気持ちの良い朝のまちを歩き、JR豊浦駅や道の駅「とようら」に寄ってみた。
どちらも日曜日の朝で人出はほとんどなかった。
ようやく噴火湾が、その全貌を見せてくれるようになった。
海面はおだやかで多くの漁船がゆったりと浮かんでいるのが見える。

6月上旬の今は、豊浦町ではイチゴ狩りのシーズンで小学校では春の大運動会を行っていた。
やがて、ちょっとシャレた小公園が道端にあったりして周辺がなんとなく賑やかになってきた。
小公園で休んだ後、少し行くとJR洞爺駅があった。
観光地洞爺湖の入口となる地で活気がある訳である。

昼食時になって、そば・うどん処「竹家」の暖簾が下がる小さな店に入った。
味噌ラーメンとおにぎりを注文してカウンターに座ると、店主の男性は気楽に話しかけてきた。
新保さんと云って、脱サラしてこの店を始めたそうだ。
虻田町から伊達市のこの国道は、メロン街道と呼ばれる。
そして、この辺りは雪もあまり積もらなく北海道で一番住みよい「北の湘南」と云われる、と話してくれた。
たしかにこの区間はいままでの街道筋とは違った雰囲気を感じていたので、そうなのかと納得した。

それから、こんなことがあった。
疲れて道端で休んでいた時、大きな毛虫が歩道から2車線道路を必死に横断しようとしていた。
とても横断しきれないだろうと見ていたら、案の定、道の半場で車の風圧によって圧死した。
なぜ毛虫は、こんな無謀なことをしたのかと少し考えた。
もしかして、天空から観察できたら、人間もこんな無謀なことをしているのかも知れない。

伊達市の市街地に入り市役所前の通りを行くと、きれいな街並みになった。
あるコンセプトにもとずく統一したまちづくりがなされていることは明らかだ。
写真を撮りながら行くと案内板があり、「伊達物語回廊」をメインコンセプトにしているとあった。
さらに各街路を「歴史街道」等のサブコンセプトで位置付けしてデザインし整備しているとあった。

宿に着いて夕方、もう一度まちに出て照明に照らされる街並みの写真を撮った。