今朝宿を出る前に、宿の庭を撮っていたら女将さんが、「この大きな平たい石は、土佐藩士が港から駕籠で来てそれを置いた駕籠石と言われています」と説明してくれました。それがきっかけで、敷地内を案内しながらいろいろと宿の歴史を話してくれました。宿としては、創業150年ですがその前は米問屋をされていたそうです。旧山陽道に面した玄関口は狭いですが、奥行は昔は港になっていたところまで続いていたそうです。それで、敷地は結構広く、江戸中期、明治、大正、昭和に建てられた建物があります。宿は、主に明治期の建物が使われています。「この部屋は、昭和43、44年に司馬遼太郎さんが泊まり込んで書き物されました」。「この部屋は、魯山人やバーナード・リーチさんが泊まられました」と言う部屋は、私が泊まった部屋の隣でした。そして庭を挟んだ反対の部屋を開けて、「明治18年8月7日に明治天皇が昼食をとられた部屋です」と云う。さらに極め付けは、今朝、朝食をとった部屋の額装された書き物を指さして「これは、大石内蔵之介が討ち入りの翌日に書いた報告書です」と言う。よく観ると、奉申上事の頭書きで始まり、末尾に元禄十五年十二月十五日の日付と大石内蔵之介良雄謹言上と書かれている。何故、これがここにあるのかは、分からないと云うことでした。テレビ番組の「お宝鑑定団」のスタッフが取材に来て、旅館をまるごと鑑定に出すことをすすめてくれたそうです。いろいろ考えて断わったら、スタッフも「その方が良いかも。税金問題や大勢押し寄せて大変になるから、そっと大事に維持してください」と賛成してくれたそうです。今は割烹料理の客と知る人ぞ知るリピィターの泊まり客が主で経営が成り立っているそうです。これだけの歴史のある旅館は、大抵は記念館になっていたり、高級旅館になっています。私の様な旅人が泊まれたのは、奇跡に近い幸運でした。こんな歴史のある宿とは知らず、電話で宿泊の予約をした時に宿代が予想してたより高くちょっと躊躇した。電話の向こうでそれを察した女将さんは、ビジネス客と云うことでしたらと安くしてくれたのです。まことに赤面のいたりでした。