赤穂47義士の主君浅野家は、正保2年(1645年)に茨城県笠間から赤穂に転封されたことを、赤穂市に来て初めて知りました。現代でも、歩いて笠間から赤穂に行くのは容易ではありません。江戸初期で今とは比べようもない位に危険で険しい道を、浅野家の家臣やその家族はどんな想いで歩いたのだろうか。笠間に未練はなかったろうか。遠い赤穂にどんな期待を持ったのか。高取峠から初めて見る赤穂の地に何を感じたろうか。そうしてたどり着いた時から僅か数十年でお家断絶となり、赤穂の地を追われる事になってしまう。今も昔も、宮つかえは辛いものだ等々…今日は、そんなことに想いを馳ながらの旅でした。